習いごと没入感のなさ

日常

月1回30分、歌のレッスンに通っている。

教えてくれているのは、60歳前後の女性の先生だ。今もピアノと歌を教えながら、小中学校の音楽の教員になる機会もあるらしく、子供から高校生まで、成長段階の違うエネルギーに日々刺激を受けているという。

先生自身は「年金だけじゃ足りない、遊ぶお金が欲しい」と言いながら働いている。それだけじゃなく、自分自身も別の先生に歌を習い始めたそうで、とても生き生きしている。仲間と発表会をしたり、旅行に行ったり、娘さんと楽しんだり。エネルギーの塊みたいな人だ。

歌もピアノも一流のこの先生に、自分はど素人の状態で3年ほど教えてもらってきた。でも、理由があって、2ヶ月後にレッスンをやめることになった。子供のお稽古の時間と重なってしまい、他の時間帯にずらせないからだ。いずれまた再会できたらいいなと思っている。

理解力が落ちた、というより

「最近、理解力が落ちたな」と感じることがある。

でも、これはたぶん知能の話じゃない。子供の頃は、意識しなくても吸収できるものが多かった。記憶力もよくて、ノートを取らなくてもテストでいい点が取れた。見返す必要もなかった。そういう意味で、今は理解力が落ちている、というか、当時のような「無意識の吸収力」が失われたんだと思う。

脳科学には「臨界期」という概念があって、音楽や言語の習得に特に敏感な時期が存在することが分かっている。例えば絶対音感は6歳までに習い始めると身につきやすいが、大人になってからでは同じようにはいかない。理解力が落ちたというより、学び方が根本的に変わった、ということなんだと思う。大人の脳は経験を積んだぶん「既存の回路で処理しようとする」から、まっさらに書き込める子供とは、そもそも仕組みが違う。

表現力が、全くない

先生がよく言っていた。「人のために力を貸しながら、自分自身も楽しんでいる方がいい」と。その言葉を聞くたびに、最高に素晴らしいな、と思う。ただ楽しむだけでも、ただ頑張るだけでもない。その両方を同時に生きている人だ。

そこで気になったのが、自分には表現力が全くないということだ。

3年も教えてもらっているのに、言葉では理解しているつもりでも、中身を体現できていない。一つのことを習得するのに、とても時間がかかる。月1回という頻度の少なさも、もちろん影響していると思う。でも、それだけじゃない気がする。

本気になることへの、刷り込み

表現力がなくなった原因は、いろいろあると思う。

その一つに、「無感動でいること」「本気にならないこと」が、自分の中で刷り込まれてきたんじゃないかという気がしている。本気になる機会が、いつの間にか少なくなっていった。

キャロル・ドゥエックの『マインドセット「やればできる!」の研究』という本がある。人には「固定型マインドセット」と「成長型マインドセット」があって、固定型の人は失敗を「自分の能力の証拠」と捉えるため、本気を出すこと自体を避けるようになる、という話だ。本気を出して失敗すれば、自分の限界が証明されてしまう。だから、本気にならないことが「安全策」になっていく。

本気で物事に向き合える人は、相手に対して自分の力を本気で見せている。自分の「心の引き方」を、これから変えていく必要があるのかもしれない。

でも、どうやって心を開けばいいのか、どうやって全力になればいいのか、どうやって本気を出せばいいのか。それを、たぶん自分は恐れている。

子供は、下手な歌でも平気で大声で歌う。失敗しても気にしない。大人になると、失敗が評価に繋がると学習して、本気になることが怖くなるのかもしれない。

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