子供が「やめたい」と言ったとき、うちがしていること
うちでは、子供が「やめたい」と言ったらやめていいと伝えている。
でも実際にそう言われたとき、どう受け止めているか。何を確認して、何をしないか。今日はそれを話してみる。
「わかった。理由があれば教えてくれ」
やめたいと言われたときは、こう返す。
「わかった、やめていいよ。ただ、理由があったら教えてくれ」
たいてい言い淀む。すぐには答えない。そのときは「分かったら教えてね、そうしたらやめよう」と言って待つ。急かさない。理由を白状させようとしない。
「継続力が身につかない」という声に、ひとつだけ聞きたい
「せっかく続けたのに」「継続力が身につかない」——その声は分かる。
でも、ひとつだけ聞いてみたい。
嫌なものをいやいやり続けさせることで、どんな継続力が身につくのだろうか。
数ヶ月、一年続けてきた。それは確かな積み重ねだ。でも人生の長さで考えると、大した時間ではない。やめる判断を下したとしても、失ったものはそれほど大きくない。
ちなみに、心理学に「自己決定理論」という考え方がある。デシとライアンが提唱したもので、人は自分が選んで行動しているという感覚があってこそ、内側から動く力が育つ——という理論だ。その理論が示すように、「内発的動機づけ(自分の中から湧く動機)」で続く行動は、「外発的動機づけ(強制・評価・報酬)」で続けるよりも持続性が高い。続けさせることが、逆に本当の継続力を損なうことがある。
子供の習い事の取捨選択については、「うちが習い事を「やらなくていい」と思う理由」にも書いたので、合わせて読んでもらえると話がつながると思う。
「やめたい」の裏側を一度だけ確認する

もうひとつ、確認することがある。
「やめたい」の本当の理由だ。
友達と揉めた、先生が苦手、単純に疲れている。こういう事情が裏にある場合、やめたいという言葉はその場の感情から来ている可能性がある。そのときは話し合う余地がある。
でも「やりたくない」が純粋にやりたくないなら、それは本人の意思だ。
子供の「やめたい」をどう聴くかは、日頃の対話の積み上げとも関係してくる。「子供の気持ちを聴くときに、うちが気をつけていること」でも少し触れた。
「自分で決めた」という経験を持たせる
遠回りでも着実に積み重ねた人が、高いところへ行き着く。それは本当だと思う。
だからこそ、やらされた状態で積み上げるのではなく、自分の意思で選んで続けることの方が大事なんじゃないかと思っている。
人から言われたことを継続するのとは別の、「自分の判断で続けるか、やめるかを決めた」という経験。その積み重ねが、親の手が離れたあとに生きてくる。
子供が「やめる」と決めたその日、それ自体が一つの経験になる。自分の気持ちで決めた、という記憶が残る方が、無理に続けることで得られる何かより大事な場合もある。今はそう考えている。
よくある質問
Q. やめたいと言ったとき、すぐに決断を求めた方がいいですか? 急かさない方がいいと思います。「理由が分かったら教えて」と伝えて数日待つ。その間に子供自身の中で整理されることもあります。
Q. やめた後に「やっぱり続けたかった」と後悔した場合は? それも経験だと思っています。「もう一度やりたくなったら言って」と伝えておけば、再開の道は閉じていません。
Q. 「継続力が身につかない」という不安はどう考えればいいですか? 続けることへの意欲は、自分が選んだことにしか育たないと思っています。嫌いなことを続けて身につくのは「やらされる忍耐力」であり、自ら動く継続力とは別ものじゃないかと。
今日から試せること:子供が「やめたい」と言ったとき、まず「わかった」とだけ返す。理由を問い詰める前に、受け取るだけ。それだけでいい。
子供との対話をもう少し深めたい人は、「子供に「なぜ?」を説明させる対話のやり方」も参考にしてほしい。

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